続・【SPIDDMな日々】
IDDMとは『インスリン依存型糖尿病』で、いわゆる1型糖尿病です。 その中でSPIDDMはわずかに自己分泌が残っている病態を言います。 本人は至ってお気楽極楽に構えてます!

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見習うべきモノ
公園なんかで樹木を眺めてると本当にすごいなぁ、と思います。

何がすごいって、何があっても生まれたまんまの環境でずっと立ってるじゃないですか。

どんなに穏やかな環境でもどんなに苛酷な環境でも、一言も文句を言わず。
どんな仕打ちをされてもどんなに周りが変わろうとも、寿命の限りそれら一切を受け入れて。
動くこともできず、ただただそこに立ち尽くすのみ。

実際鬱陶しいと思いますよ。
折角の果実を断りもなく採られたりマーキングされたり、時には勝手に棲み処にされたりセミが耳元(?)でミンミン鳴いてたり。

それでも天寿を全うするまで、全てを受け入れてそこにあり続けるわけです。
春も夏も秋も冬も。

もし万物に魂と言うものが本当にあるのならば、相当に自らを高めた存在でしかなり得ないんでしょうね。

願わくば、私も己の環境を受け入れて、どんな困難にも動じず真っ直ぐ天に向かって伸びる樹木のように生きたいものです。


と思いながら散歩から帰っても、現実に戻るとそれによって押し潰されそうになる自分を実感するのです。
こりゃダメだわ。。○| ̄|_

せめて真っ直ぐに、それだけにしとこうかな・・・。(笑)
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声が聞こえる
インターネットで交流(ブログとか)していると声が聞こえることがあります。
まぁネットに限らず本などでもですが。
読み進めていくとその本人の声が聞こえてくることがあるんですよ。

これは当たり前のことなのかも知れませんが、私にとっては驚くべきことなんです。
なんせ本を読もうが何を読もうが声を意識して読むことなどありませんから・・・。
以前も書いたかと思うんですが、ただ内容を目で追っ掛けてるだけなんです。

それが声が聞こえると言うのは何とも不思議な感じがします。


思えばネットによる交流と言うもの自体、何だか不思議なんですよね。

以前ノートPCを使ってた頃などは閉じたら薄い箱でしょ?
それを眺めてると、ついさっき閉じるまで画面の向こうに見たことのない人との繋がりがあったとはにわかに信じられなかったことがあります。

今ではさすがにそんな感覚はないですが、それでももはや当たり前になってしまったネット社会を改めて考えると「これは凄いんことなんだな」と思わずにはいられません。
実際にお会いして更に交流を深めることができたからこそ、余計そう感じるのかも知れません。

例えば遠くの人と交流を持つ手段は昔から存在していました。
時間をかけていいのなら手紙やハガキが、すぐに伝えたいのなら電話が、少なくとも100年ほど前(だと思います)にはあったわけです。

でもそれは相手が確定してるからこその通信手段なんですよね。
どこそこ村の何兵衛さんだと分かってなければそのコミュニケーションツールは成立しませんから。

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テーマ:1型糖尿病 - ジャンル:ヘルス・ダイエット

偶然の産物
「向こう三軒両隣 この言葉自体知らない方が多いと思います」
myさんのブログにコメントさせてもらった際、返事として頂いた言葉です。

あえて検証はしませんが、何か納得できました。
そんなことはないんじゃないかなと思いつつも、逆に「あ~、案外そんなもんかもな」と思えたのです。

私は毎朝、職場のご近所を掃除しています。
それこそ向こう三軒両隣、です。
それが当たり前だと思っていますし、考えを曲げるつもりはありません。(笑)

ところが確かに誰に言われるのも「ここまでせんでもええんちゃうの?」なんです。
結構年配の方で、そう育ってきてるはずの人でもこう言われるんですよ。
だから以前から感じてはいたんですが、myさんの言葉を受けて確信めいたものになったと言うのが正直なところです。

この行いがどの程度役に立つのかと問われて明確な答えは持ち合わせていませんが、少なくとも円滑なご近所付き合いの一助にはなるだろうと思います。
みんながみんなこうだったらきっといい町になるでしょうし。

ただ、、『千里の道も一歩から』と言いますが、一歩目で見事に止まってるぞ。>ご近所(笑)


そう言えば・・・と思い出すと、私自身親から教わったことではないんですよね。
何かの本で読んで、「ああ、そうか」と、「お互いそうやれば気持ちいいよなぁ」と思ったのがキッカケですから、知らなくても当然だったわけです。

偶然の産物と言うのは面白いものです。
昭和の匂い
つい先日のことです。
(って言うか20日(笑)

近所にあった銭湯が閉店して久しいのですが、そこが解体されてるのを目にしました。
ちょうど前を通りかかると奥の壁(山とかの画)と湯船が辛うじて見えて、その時にガキの頃の情景が蘇ってきたんですよね・・・。

ああ言う頃ってちょっとしたことが楽しいもんで、近所の子と連れ立ってよく行ってた時期があったなぁ、と。
もちろんお目当ては広い湯船もそうですが、お風呂上がりのコーヒー牛乳orフルーツ牛乳。
ある種の非日常をご近所でいつでも手軽に体験できる場でした。

閉店すると聞いた時も寂しさを覚えましたけど、壊されていく様を目の当たりにするとそれ以上に何とも言えないものを感じます。
中が見えなかったり更地になってたらそうも思わないのかも知れませんが、タイルとか見えてるんでねぇ・・・。

また一つ変わり行く街を実感すると、いかに少年期から遠く離れた今があるか感じさせられます。


そう言えば随分前の話ですが、市内の方でも明治だかから続くモダンな銭湯が閉店するってニュースでやってましたね。
古き良き・・・と言うと途端にチープになる気もしますが、時代がまた一つ消えて行くのは寂しい限りです。

それら全てを保存すりゃいいかと言えば、そんな暴論を言うつもりはありませんよ。
保存なんかしたって何の意味もありませんから。
単なる自己満足に過ぎません。

ただ私が思うのは、そう言った貴重な匂いを遺すものをいつまでも存続できない(客足が鈍る)時代の流れはイヤなもんだなぁ、と。
つまり西洋風に洗練された物が持て囃され、古来よりの美徳、様式美を失っていくとしたら忍びないなぁ、と思うのです。
(ちなみにカタチだけ和風に仕立てた車で行くようなスーパー銭湯は意味が違います

近代的なんだけど、国柄を映す町並み。
もちろん町並みだけじゃなくて、紡がれてきた国民性を感じる国。
どんだけ大きな話になるんだって話ですが(爆)、そうであって欲しかったですね。

まぁ、そう言ってる人間が純和風の家に住んでるわけでも着物を着てるわけでもないので、説得力は全くのゼロですが。
数百年後に興味あり
20080404桜

春です。
桜など意識するようになったのはいつ頃からかと思いますが、ともかく今年も桜にお目に掛かれました。


犬と言うのはよくよく草とか土とかが好きなんですねぇ。
まぁ、元々そう言う中で暮らしてたんでしょうから、DNAが覚えているってところなんでしょうな。

本来は私達人間もきっとそうなんでしょう。
動物と言うものはそもそもそう言うものとも共存していくものなんですし。

ただ、こう言った文明社会で過剰(と言ってもいいでしょう)な公衆衛生の概念が発達すると、そこかしこにある雑菌や何かを遠ざけてしまうんですよね。
で、結果としてドンドン免疫力がなくなってしまうから、すぐに手洗いとかしなきゃいけなくなる、と。
その中にあって私達DM患者は尚更でしょうか・・・。
(教育入院でよく言われましたし


そうやって犬が草の匂いをクンクン嗅いでるところを見てると、自然な状態がどう言うものなのか改めて考えさせられます。
タロウ 077
タロウ 074

同時に思うのが、いかに不自然なカタチで私達人類が発展してきたのか、と言うことです。
例えばプラスチックなどは分解に相当な時間を要するようですし、それも完全ではないとも聞きますしね。

その内人類が滅亡したとしても、自然界にないものが残り続けることになり兼ねないわけです。
そうなると、その残骸によって被害に遭う動物も出てくるんだろうな、と思うのです。

自然界に生み落とされた人間が自然を壊すだけでなく、それだけで飽き足らないとばかりに未来に亘って迷惑を掛ける・・・。
そう考えるとつくづく罪な存在だと思います。
日本で言う江戸時代ぐらいで止まってたら良かったのに、と思わないでもありません。

しかし一方で、そうは言いながらもそのお蔭で命が長らえているのも事実なんですよね。
それこそたくさんの方と交流できて有難い、とこの文明に感謝もしてますし。
どんな奇麗事を並べ立てても現状を鑑みれば二律背反してしまいます。

つくづく罪な存在だとか言う前に、つくづく不遜な人間ですね、私は。(笑)

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目指せ!好好爺
同じ病室の年配の方を見ていると、何やら将来の姿を映し出されているような気がすることがあります。
あぁ、自分もあのぐらいの年齢になったらどんな合併症が起こってるか分からんな、と。

その時に果たして何を思い、どれだけのことを自分でしようとするか、或いはできるのか・・・?
そんなことをチラッとですが考えると、空恐ろしいものを感じます。


それと同時に思うのが、医師や看護師にワガママは言いたくないなぁ、と。
この辺りになってくると双方の受け止め方の問題も絡んでくるんで、一概には言えませんが。

あ、書いてて思いましたが、そう考えると難しいですね。
主張すべきは主張しないといけないし、かと言って何でもかんでも言いたい放題ってのは違いますしね。
例えば今回、入院するに当たって『何ちゃってカーボ』で合わせることを理解して頂きましたが、看護師さんの中にはいぶかしがる方もおられますからね。
その人にとっては、ワガママに映ってもおかしくないわけでしょう。
(もっとも誰が何を思おうと、身体のためには聞く耳持ってられませんが・・・


さて、30年、40年経った時どうなってますかねぇ?
ワガママな頑固ジジィにだけはならないように気を付けたいと思います。(笑)
アキヒロと言う名
読了しました。
美輪明宏さんの【ああ、正負の法則】を。

率直に言って美輪明宏さんと言う人物、よく分からなかったんですよね。
それ故の誤解(?)もあったのかも知れませんが、真っ当なことを書いてらっしゃるじゃないですか。(何て失礼な物言いなんだ・・・
幸福の有難さとか感謝の大切さ、努力もしないで嫉むなとか時に日本の国情を示してみたり。
そう言うこともあってか、非常に興味深く読むことができました。


僭越ながら、どちらかと言うと私が漠然と考えていることに近いように思いました。
それを具体的に指摘されているので、分かりやすいしスッと入ってきた感じですね。

表題の【正負の法則】などは私は運と言うことでよく考えます。
運と言っても宝くじに当たるとか競馬で負けるとか、そう言った世俗的な運不運ではなくもっと全般的な運ですね。
例えばこの会社に入っていい人物と出会えたとか、あの学校に通って素晴らしい先生に出会えたとか、です。
逆も含めて選択によっての結果と言う意味で、そう言うものはあるんだろうな、と。
だから一見とんでもない人に出会っても、反面教師と言うかそう言う捉え方をします。

そう考えるとやはりベースにはスピリチュアルとは言わないけど、いわゆる精神世界に魅かれる部分を持っているんでしょうかね。
昔はトンデモ本をよく読んでましたし。
悪く言えば、結局そう言うところに逃げざるを得ないのかも知れませんがね・・・。
(ってこれ。こう言うこと書いててマジで引かれないかなぁ?大丈夫ですか?(笑)


この本に書かれてる法則と言うのは結局の所、良いことと悪いことのバランス論ですね。
バランスの上に成り立っていると解釈(或いは理解)すれば、殊更に人様を羨むことも嫉むこともない。
また逆に自らを貶め卑下するようなこともない、と言うことでしょう。

元々私はコンプレックスの塊のような人間でして。(笑)
そう言うところから先に言ったように、精神性を重んずることに逃げ込んだ経緯があります。
すなわち抽象的に言うと、より善く生きよう、と。(できてないぞコラ!
それはコンプレックスと言う負からせめて心だけは、と言う正への転換を無意識に図っていたのかも知れませんね。
この本で言うところの解釈をすれば。
(もちろんそのコンプレックスは心にも及んでいましたから、トランプで言う全取っ替えのようなものでしたが

まぁ、バランスと一口に言っても、常にそう思ってるのはなかなかに難しいですからねぇ・・・。
それこそそればかり意識せず、バランス良く思ったり思わなかったりがいいんでしょうな。


それはそうと美輪明宏さん、この方も明宏ですか。
やはり私の人生、「あきひろ」という名に少なからず縁があるのかも知れません。
と言っても私の本名がアキヒロと言うわけじゃないですよ。

私がこの人生(考え方)において多大な影響を受けたのが、何を隠そう中谷彰宏さんなんです。
そう思うとこれもまた面白いものだなぁ、と。

そう言えばタイガースの正捕手は矢野輝弘(あきひろ)さんですしね。(いや、関係ないか(笑)
どうなのかなぁ?
最近またリバイバルブームなのかどうか分かりませんが、『ヤッターマン』に代表されるように昔懐かしのものをよく見掛けます。
ちょっと前だったらカバーアルバムや昔のベスト盤が出たり、意味は違いますが『三丁目の夕日』で郷愁を感じたり。

まぁ、私としても嬉々として『ヤッターマン』を見てる一人ですし、○○年代(と言うのかな?)のベスト盤などは欲しいなぁと思いますので、それ自体どうこう言うつもりはないです。
むしろ昭和年代を掘り起こすと言うか、温故知新の精神になればいいんだろうと思いますし。


ただ、その中で一つだけ解せないものを見掛けました。
『世界名作劇場』がパチンコ台になると言うものです。

確かに商いとしては間違ってないと思います。
数字を計算できる有力なアイテムとなりますし、何より新たなマーケット開拓の期待が大だからです。
それが継続して、或いはパチンコ自体に興味を引く結果にならずとも当面の目標は達せられるでしょう。

だけどねぇ・・・。
仮にも名作と銘打たれ、多くの感動と涙を生んだアニメを持って来るか、と。

ハッキリ言ってこれはパチンコメーカーの問題と言うより、版権を持ってる側の問題でしょうね。
『ドラゴンボール』の原作者、鳥山明氏じゃないですけど、「子供達のためのものだから」と断わってくれなかったんだなぁ、と少し寂しい気持ちになります。
ネロに共感し純粋な涙を流した子供が、時を経てネロに熱狂(?)し一喜一憂するオッサンになると言うのはどうなのかなぁ?と。

もっとも、そんな正論だけでお腹が一杯になりゃ誰も苦労しないですけどね・・・。

えぇ、そんなことは分かってますよ、分かってますとも。
でも、分かってるけどついつい思っちゃうことってあるんですよね。(笑)
運命論、試論
休みでなければ書けない長文になってしまいました。

いつも以上の戯言ですので、読み流して下さいまし。


【続きを読む】
そこにあるイメージ
風変わりな男は新幹線のポーチを持っててもおかしくない。
こんなご意見を頂きまして。
ありがたいと思う反面、複雑な感じもしないではありません。
一体どんなイメージで見られてるんだろう?と。(笑)
もちろん悪い意味で仰ってるのでなく、冗談で仰っていることは重々承知しておりますよ。


インターネットと言う顔の見えないツール。
であるが故に、どうしてもそこには様々なイメージが付きまといます。
真面目そう、しっかりしてそう、打たれ強そう、面白そうなどなど。(注 自分のことではありませんよ、念のため
読めば読むほど、或いは書き込めば書き込むほどそのイメージは膨らみ、固定化されていく。
それが俗に言う『キャラ化』と言うヤツなのでしょう。

その『キャラ化』自体の是非は問うまでもありません。
そんなイメージってのは実生活だってあるわけですから。
例えば私などでもあるんですよ。
テンパるとあらぬ方向に暴走してしまうんで、それが災いしてか大きなイメージダウン。(笑)
それが被害妄想なのかどうかまでは分かりませんが、悪感情にまで発展するかどうかはともかくとして「あぁ、たぶんこの人のイメージとは違うんだろうな。」ってのが。

ただ、やはりそう言うのは面白いなぁ、と思います。
実体とのギャップと言うと大袈裟な気もしますが、それも含めて。
時に相手のイメージに合わせるようにしてる自分に「オマエ何やっとんじゃ?」って自問とかね。

で、ネットと言う環境にあっては文字がそのイメージを作り出すわけですよ。
今回の場合ですと、まぁこの男なら新幹線ぐらい平気で持ちそう、ってところでしょうか。
(或いは如何にも、な漫画チックでないところで許容される向きもあるかも知れませんが・・・
でも、それは決してマイナス的な意味で捉えられるものではありません。
何故なら、私の周りを見渡してみても極客観的に見てやはり私ぐらいしか持ちそうにないからです。(笑)
そう思うと実に的確。

やはりどうしても文章として表れるものなのかも知れませんねぇ。
私の友人なんぞでもその人らしい文章になってますし。


ところで、普通はどうなんでしょ?
例えば私は人様のブログなどを読む場合、特にイメージせず文字と内容だけ追っ掛けちゃうんですけども。
イメージすることがあるとしてもコメントを書く時ですかね。
(それとも無意識の内にイメージの上に読んでるんだろうか・・・?

でもやはり名前(と言うかタイトル)を見たら、自然とその人をイメージしてるのかも知れませんねぇ。
意識してないだけで。

今、書きながら(打ちながら)そんな気がしました。
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