続・【SPIDDMな日々】
IDDMとは『インスリン依存型糖尿病』で、いわゆる1型糖尿病です。 その中でSPIDDMはわずかに自己分泌が残っている病態を言います。 本人は至ってお気楽極楽に構えてます!

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湯船の中で
昨夜、youさんとこのチャットにおいて、唐突に本ト何の脈略もなく「IDDMに対する補助が欲しいなぁ。」などとのたまいました。
で、お風呂に入って考えてると意味ないなぁ、と思い至ったのです。

私自身、1型糖尿病に関しては何らかの補助があっていいと考えています。
一生涯に亘って治療が続く(インスリンが欠かせない)のですし、そもそも本人責任はないからです。

ただ、その理屈で言っちゃうと一生涯かどうかはともかくほぼ全ての疾患が当てはまりそうですがね。
肺ガンですら喫煙との因果関係を立証できないでしょうから、自己責任とは言い切れなくなる、と。

それは置いといて・・・、にも拘らず特定疾患でもなく障害者認定も受けられないんですねぇ。
普通の人と変わらない生活が送れるのに普通の人にはかからない負担だけが掛かる。
それも生きてる間ずっと。

正直なところ卑屈になってるだけ、と言えなくもない気もしますが(笑)、やはりどうあっても医療費負担が必要だと思うとある程度は・・・と考えてしまうのです。

以前TVで健康保険料が払えなくて病院に行きたくても行けない人を紹介してましたが、正にそんな状態になったらどうすんだ!?と。
もちろん、そうならないように努力すりゃいいことなんですが、そんなこと言い出したら話が進まないのでそこは華麗にスルー。

そう考えていくと、何らかの保障と言うか援助はあって然るべきなんじゃないかな、と思えるのです。


しかし、意味がないことだと思ったのは、結局そうなったとしても続かない気がするんですよね。
いずれそれが2型患者にも適用せよとかなんとかなりゃしないだろうかと危惧するので・・・。

みんながみんな理解してくれてりゃいいと思いますよ。
そもそもの発症の仕組みと言うか、そこまでは言わないけどせめて本人の責任の有無ぐらいは。
だったら1型に何故必要で2型は不必要なのか理解してもらえるでしょうから。

でも、とてもそうは思えないんですよね。
そこに利権が絡むかどうかは別にして、やはりそう言う理解のない人(大抵が優しい人ではあるんでしょうけど)が「1型と2型で差別するな!」とかなっちゃいそうで・・・。
そうなるといきなり十倍以上にも膨れ上がるわけですから、せっかく可能になったとしても呆気なく破綻するでしょう。
(仮にインスリン注射が必要な人だけを対象にしても数倍にはなるかと思われます

だから意味がないなぁ、と。

まぁ、その辺りは私の妄想なので(笑)、そうはならないとは思いますけど、現実的にはやはり難しいんだろうなぁ、と思います。
どんな病気だって負担はあるわけですし、治る見込み云々で片付けられるほど簡単な問題でもないでしょうし。
第一、保障制度としてすでに健康保険制度があるわけですから。
逆に言うと健康保険料納めて病気に罹らない人よりは元を取ってると言えなくもないかなぁ、と。


・・・と、どんどん考えていくとこれ以上の援助を求めるのはやっぱ厚かましいと言うか、浅ましいかなぁ、と湯船で一人納得しました。

テーマ:糖尿病 - ジャンル:ヘルス・ダイエット

身軽に
人間生きて行く上で少なからず付いてくる拘り、しがらみってヤツ。

それは時間の経過や状況、環境の変化によって大きく変わってきますね。


昔の話で言えば、TMNetoworkに拘っていた頃は解散(と言う
表現ではなかったけど)に際しては関連する物を取り憑かれたように(笑)
買い漁ったりしたものです。

しかしそれとて時間が経ってみると、大切なものに違いないし捨てるなんて
とんでもない話ですが、現時点で積極的に買おうとは思わないものです。

それは興味の対象が移ったりそもそも音楽を聴かなくなったりと原因は
様々なんですが、どんな事柄にしろそう言ったことはあるんだろうな、
とふと思うのです。

そう考えていくと、これも一つの無常なんだなと思えたり思えなかったり。


そう言ったものを一つ一つ捨てると言うか対象から外していくことで
随分身軽になれるものかも知れないなぁ、と。

もちろん一つのことに拘って、それに時間やら費用やら費やすのは
それ自体大なり小なり意味があるし、そうでなくては人生楽しくも
何ともありません。

逆に言えば人から見て「何じゃこりゃ!?」と言うぐらい下らないことでも
没頭する時間、経験は大切なことです。

しかしそれに囚われるあまり、自由な発想ができなかったり時間を
有効に使えなかったりと言う弊害が出てくるとしたら、その変化を
受け止めて外すことも必要でしょう。

そもそも、それ自体弊害だと思う時点で興味の対象、或いは考え方が
大きく変遷しているわけで、拘る意味も理由もなくなるんですが・・・。


そうしてスリム化を図った後に何が残るのか。

そんなもの全くもって分かる由もないのですが、そうした変化が
あるとしたらそれ自体も受け止めていかないとなぁ、と思うのです。

そして、できるだけ身軽に生きていけたらいいなぁ、とも。
気付くこと
昨夜、1年前のことを書いてて思い出したんですが、そう言えば
盲腸もどきに遭ってから今日で2週間。
幸い痛みも何もなく無事に過ごすことができております。

いや~、やっぱ痛みとかないってのはいいもんですねぇ。
改めてそう思います。

こうやって事ある毎に健康と言うか平穏なことに安堵し感謝する
自分に気付いた時、カルマの存在を信じたくなっちゃいますね。

生まれる時に自分で修行する部分を選んでくるんだ、と言う思想
があるようですが、そんな感じですかね。

正確にはカルマってのは業のことですから前世の行いが前提と
なるので少し違った意味にはなるんですが・・・。
(因縁だから望むと望まざるに拘らず、ですから

まぁ、そう言ったノリじゃなくても自分がずっと健康であった
なら気付かなかったようなことを気付けているようで、そう
言った意味では全く無駄ではないように思います。

もっとも自らの体験を通さずにそう言った境地に辿り着ける人も
いるわけで、そう言う点では凹みますけどね。(笑)
こころ
最近よく通る散歩コースにお寺があります。

そこには門前に掲示板があってこう書かれています。
『苦も楽も こころのおきどころ』

あぁ、いい言葉だなと思います。
実践できるかどうかは別にして。(笑)


結局そう言うことなんでしょうね。
世の中のことは。

事象の取り方一つと言うか考え方次第、なんでしょう。

分かりやすい例で、鳩のフンなんかでもそうですもんね。

空に向かって怒る人もいれば、確率から言って珍しいからと
怒らない(どころかラッキー!って人もいるかも?)人もいる。

その時その時に置かれた状況や精神状態で大きく左右されるもの
なんでしょうけど、やはり少々のことは流していたいですね。
流すと言うか受け流す、ですな。


そう言った意味ではやはり宗教、信心は大事なんだなと思います。
原理主義に走っちゃイカンけど。

宗教に帰依すると言うより、ざっと上っ面だけでも考え方を
吸収すると言うかそんな感じで。

楽な方へ楽な方へ流されそうな時は戒めなければいけないでしょうし、
苦しい時こそそれに拘泥せず視点を変える勇気を持つ。

物理的な物は如何ともし難いとつい思っちゃいますが、
それこそ心の問題なんでしょう。

もうオッサンになった今からでもそう言った心を
育みたいものです。(笑)
キャッシュレス
先月ローソンへ行った時、お財布ケータイが使えるように
なったと知りました。

全然興味なかったけど、ローソンならよく行くしと言うことで
登録してみることに。
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